ストラトスの価値に影響する競技歴
2025年10月、ベルギーの海辺で開かれた「Zoute Concours」オークションで、ランチア「HFストラトス グループ4仕様車」が大きな注目を集めました。競技に勝つためだけに作られたストラトスの車両のあらましとオークション結果をお伝えします。
ラリー競技のために開発されたパーパス・ビルドカー
ランチアHFストラトスのように、自らの参戦する競技の特質をこれほどまでに体現した競技用車両は、ほとんど存在しないだろう。前任の「フルヴィアHF」が旧「グループ4」時代初期にランチアの強さを実証した。これに対し、ランチア・スクアドラ・コルセは、FIA世界ラリー選手権(WRC)の舞台を席巻するために、まったく新しく専用設計された次期傑作の開発を進めていた。
ヌッチオ・ベルトーネが1970年に発表した過激なコンセプトカー「ストラトス・ゼロ」を精神的なベースとして開発されたラリー専用機のHFストラトスは、1971年のトリノ・ショーでデビューした。それまでのあらゆる車両とは、まさしく一線を画す存在である。プロジェクトを主導したベルトーネのマルチェッロ・ガンディーニが手がけた専用のスタイリング、そしてフェラーリの「ディーノ246GT」から流用した実績ある2.4L V6 DOHCエンジンを搭載していた。
グループ4公認取得前から、HFストラトスはすでにラリーで勝利を収めていた。サンドロ・ムナーリさんとマリオ・マンヌッチさんが1973年のスペイン「ファイアストン・ラリー」で優勝を果たした。1974年シーズンから正式認可されると、その支配力は即座に圧倒的となった。「モンテカルロ・ラリー」で3連勝を達成した。1974年から1976年シーズンにかけては、ランチアにWRCコンストラクター部門3連覇をもたらした。さらに1977年シーズンには、ムナーリさんのWRCドライバー部門世界タイトル制覇の立役者となった。
ストラトスは、カラーリングさえも伝説的である。当初はマルボロの赤/白カラー、1975年にはアリタリア航空のイタリア三色旗(白/緑/赤)カラー、のちにはピレリの大胆なC.I.カラー(黒/赤・白)のリバリーをまとった。それぞれが当時のポスターや雑誌を飾っている。
1978年シーズン以降は、フィアット・グループの商業的判断のもとフィアット「131ラリー アバルト」によって主役の座を取って代わられたが、HFストラトスは1980年代までプライベートチームのもと主要なラリーでの勝利を収め、依然として手強いトップコンテンダーであり続けた。「モンテカルロ・ラリー」「トゥール・ド・フランス」「トゥール・ド・コルス」といったラリーでも依然としてトップクラスの勝利を重ねた。1982年の国内戦「モンツァ・ラリー」では有名な1-2-3フィニッシュを決めた。これにより、ラリーという競技におけるHFストラトスの歴史的意義を確固たるものとした。










































































































































































