アメリカを気ままに放浪3カ月:79日目
これまで2度にわたりアメリカを放浪してきた筆者。還暦を過ぎた2022年4月から7月にかけて、人生3度目のアメリカひとり旅にチャレンジしてきた。相棒は、1991年式トヨタ「ハイラックス」をベースにしたキャンピングカー「ドルフィン」。愛称は「ドル」。LAから北上しワシントン州のオリンピック国立公園を満喫した後は、ふたたび南下しカリフォルニア州へ。ローンパイン近くのトレイルヘッドで友人夫妻とハイキングを楽しんで、いよいよ旅の終わりが近づいてきました。
戦争中に日系人が隔離されたマンザナー強制収容所
ローンパインのキャンプ場に2泊したのには理由がある。ひとつはローンパインの北にあるマンザナー強制収容所跡を見てみたかったからだ。
1941年12月7日(日本時間では12月8日)の真珠湾攻撃を受けて、翌年、ルーズベルト大統領は日系アメリカ人を収容施設に移送する大統領令を発令した。全米10カ所にできた強制収容所のなかでも、マンザナーは象徴的な存在だった。
施設はシエラネバダ山脈、第2の霊峰、ウィリアムソン山の直下にあった。夏は乾燥して暑く、冬は山脈から吹き下ろす風で極寒となる。今、ここに立っただけで、過酷な状況を察することができる景観だった。収容所は1945年11月に閉鎖されて以来、
クルマで1周できる3マイル(約4.8km)のセルフガイド・ツアーでは、食堂や学校、トイレを再現したバラックを見学することができた。また、山に向かって建つ慰霊塔は、その白さが印象的だった。
ビジターセンターで記録フィルムを見ると、10カ所の強制収容所に隔離された延べ12万人近い人々の生活がただ辛いだけでなく、一定の社会生活を維持していたことが理解できた。200組近い結婚式が行われ、野球や柔道を楽しむ子供たちの姿もあった。
ミュージアムの展示内容も素晴らしく、朝から多くの人が足を運んでいた。戦争という特殊な状況が生み出した、3年間だけの特異な社会生活。それを垣間見ることができて本当によかった。
早朝にローンパインを出発して砂漠地帯を走破
ローンパインに2泊したもうひとつの理由は、早朝の涼しい時間帯に砂漠地帯を走り抜けたかったからだ。ローンパインからモハベまで120マイル(約192km)、砂漠を抜けるにはさらに50マイル(約80km)走らなければならない。
経験上、この季節は午前10時にはすでに真夏の暑さとなる。逆算すると早朝5時には出発したいところだ。2泊めは夜8時にベッドに入って午前2時から3時間仕事をし、5時に出発というスクランブル体制を敷いた。
さすがにこの時間に出れば余裕がある。モハべ砂漠の南端、ランカスターで朝食をとったのは、まだ朝8時半だった。こうなると1日が長い。ドーナツにかぶりつきながら地図を眺めると、近くにプラセリタ・キャニオン・ステートパークを見つけた。何があるかわからないが、夕方まで時間を潰すことにした。
一般的にカリフォルニアのゴールドラッシュは、1848年1月24日にサッターズミルのジェームス・ウィルソン・マーシャルが金を発見したことに始まるとされている。しかし、じつはその4年も前にこのプラセリタ・キャニオンで金を発見した男がいたのだという。
夢のお告げによって、山に自生するタマネギを引き抜いたところ、その根に金がついていたというのだ。なぜ、この発見が話題にならなかったかというと、当時、ここはまだメキシコ領でニュースが伝播しなかったのだった。