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栄光のホンダF1は、フェラーリやポルシェよりも優れたエンジンだった!「RA272」のV12の秘密とは…「ホンダ・エンジン神話」復活希望です!

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了(HARADA Ryo)

  • ホンダF1がドイツGPにデビューして今年でちょうど60周年となる記念の年に披露されたRA272
  • グッドウッドで開催されたフェスティバル・オブ・スピードと、カリフォルニアのラグナ・セカ・サーキットで開催されたモータースポーツ・リユニオンで走りを披露
  • RA272に搭載された1.5L V12のRA272Eエンジン
  • ライバルと徹底的に違っていたのは、V12を横置きマウントしていたことだ
  • 最高出力は230bhpでライバルに対して20~30bhpほどアドバンテージを持っており、そのパワーを発揮する際の回転数は1万2000rpm
  • 1965年のメキシコGP、ホンダRA272の初優勝に貢献したエンジン
  • 第1期F1GP活動で「ホンダ・エンジン神話」がファンの間に定着した

60年前のF1初参戦以来、数多くの勝利をもたらしてきた栄光のホンダF1エンジン

ホンダF1がドイツGPにデビューして2024年でちょうど60周年。ホンダ・レーシングではこれを記念して今年6月にイギリスはウェスト・サセックス にあるグッドウッドで開催されたフェスティバル・オブ・スピードで、1965年の最終戦、メキシコGPで優勝した「RA272」を走らせ、8月下旬にはアメリカはカリフォルニアのラグナ・セカ・サーキットで開催されたモータースポーツ・リユニオンでも走らせています。パドックで整備されるRA272に観客は興味津々。エンジンの暖機が始まると「ホンダ・ミュージック」に感嘆の声が上がり、エンジン回転が止まると同時に拍手が沸き起こっていました。今回はこのF1エンジンを振り返ります。

ホンダのF1エンジンは何がすごかった? ライバルがやらないことをやるのがホンダ魂

ホンダのF1エンジンがすごかった最大のポイントは、その特異なメカニズムにあった。

1961年シーズンからF1GPのエンジン規定は自然吸気の1301~1500ccとされ過給機の装着は認めらていなかった。そして直4のコベントリー・クライマックス製FPFエンジンが大勢を占めていた。マルチシリンダーとしては同じくコベントリー・クライマックス製のFWMVやBRMのP56といったV8に加えて、フェラーリのV6、V8(1964年の終盤にフラット12も登場するが……)、そしてポルシェのフラット8があった程度で、最高出力もFPFのインジェクション仕様で200bhp弱、フェラーリのV8で200bhp強といったところだった。

それに対してホンダはV12と明らかに「超マルチ」なシリンダーレイアウトで、12気筒ではクランクシャフトの捻じれが問題となることからパワー・センター・テイクオフ、V12の中間でパワーを取り出すようになっていたことも大きな注目点だ。

しかもライバルと徹底的に違っていたのは、そのV12を横置きマウントしていたこと。V12エンジンを横置きにすると搭載した時の前後長(言い換えればエンジンの全幅)が短くてトランスミッションやデフまで含めたドライブユニットがコンパクトになり、重量マスを車体中心に近づけることができ、車両運動性能が引き上げられるのは理論的には間違いないところだ。

その一方でエンジン部分の車体幅(これも言い換えればエンジン全長)が広くなるのが欠点だが、実際に「RA272」に搭載された1.5L V12の「RA272E」エンジンはボディの幅を大きく超えて張り出しているわけでもなく、うまくボディ幅に収まっているように見えた。というより実車を見るとエンジンのコンパクトさには驚かされるばかりだ。

ライバルに追随せずにオリジナルのインジェクションを開発

そしてそのパフォーマンスの素晴らしさも、目を見張るばかりだ。最高出力は230bhpでライバルに対して20~30bhpほどアドバンテージを持っており、そのパワーを発揮する際の回転数は1万2000rpm。ちなみに前年の「RA271E」エンジンは220bhp/1万5000rpmで、それでもライバルに対しては十分なアドバンテージがあったのだから、F1GPのシビアさとそれに向かい合ったホンダの技術者の、挑戦者魂には恐れ入る。

当時のF1GPはキャブレターからインジェクションへの移行期だった。ライバルはこぞってルーカス製のインジェクションを使用していたがホンダはオリジナルのインジェクションを開発し、デビュー翌戦から使用している。多くのチームが使用していたからルーカスの「汎用」インジェクションは短期間で熟成したであろうことは想像に難くないが、ホンダはたった1台での開発であり、しかも開発の本拠地はF1GPが戦われている欧米とは遥かに離れた極東の地であることも大きな壁となっていた。それでも1戦ごとに改良の手が加えられ、ついに1965年のメキシコGP、ホンダRA272の初優勝に貢献することになる。

2輪のWGPでの技術が役に立った?

その一方で別の見方もある。横置きのマルチシリンダーでパワー・センター・テイクオフというエンジンのパッケージングは、ホンダが2輪のロードレース世界選手権(WGP)でよく使用した手法だったし、何より2輪ではエンジンを横置きマウントするのが一般的だった。このことからもRA272Eの開発が2輪のWGPレーサー用のエンジンのそれと同じで、当然出来上がったエンジンも2輪のWGPレーサーと似たような性格を持っていた。つまり回転を極限まで引き上げて最高出力を稼いでいたものの、中速域のドライバビリティが犠牲になっていたはずだ。

そして軽量な2輪のWGPに比べて重いF1GPマシンでは、そのドライバビリティのディスアドバンテージはより大きくなってくる。もちろんエンジン開発に携わった技術者が指をくわえて見ていたわけでは、決してない。しかし結果的には最高出力=パワーのアドバンテージでドライバビリティのディスアドバンテージを跳ね返してメキシコGPでの初優勝をもぎ取ったのだ。

ホンダファンが切望するのは「ホンダ・エンジン神話」の継承

これは余談になるが、この第1期F1GP活動で「ホンダ・エンジン神話」がファンの間に定着していったと思われる。そして「ホンダのエンジンは最高だ!」と絶賛するファンの輪が広がり、ホンダを支えていった。だから電動車の必要性は認めるけれども「内燃機関の開発は取りやめます」などとは二度と聞きたくない。あの会見で「多くのお客様、多くのファンのためにも、電動車だけではなくエンジン開発は続けていきます!」と言って欲しかったなぁ、と古くからのホンダファンのひとりとしては思うのだけれど。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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