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「世界で最も美しいスポーツカー」が復活! アルファ ロメオの元祖「33ストラダーレ」が伝説であり続ける理由とは

「世界で最も美しいスポーツカー」が復活! アルファ ロメオの元祖「33ストラダーレ」が伝説であり続ける理由とは

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: Stellantis

アルファ ロメオ史上に燦然と輝くティーポ33/2ストラダーレ

さる2023年8月30日に初公開され、全世界のアルファ ロメオ愛好家やスーパーカーファンを震撼させたニューカマー、アルファ ロメオ「33ストラダーレ」は、往年の傑作「ティーポ33/2ストラダーレ」へのオマージュを全身で表現した、いわばセルフカバーといえよう。それでは、元ネタともいうべきティーポ33/2ストラダーレとは、いったいどんなクルマだったのか? 今回はそのヒストリーをひも解いてみよう。

グループ6レーシングプロトタイプの技術を、そのまま市販車に転用

アルファ ロメオ ティーポ33/2ストラダーレは、量産車をベースにコンペティツィオーネを作るという戦後アルファ ロメオの慣習を覆し、純粋なレーシングプロトタイプをロードカーに転用したモデルである。ティーポ33/2ストラダーレの公式プレゼンテーションは、1967年9月のモンツァ・サーキット、F1イタリア・グランプリを会場に行われた。

もともとティーポ33/2は、1966年シーズン開幕と同時に施行されたFIA新レギュレーション、通称「アペンディクスJ」によるグループ6「スポーツプロトタイプ」に準拠して製作された純レーシングカーだった。

初期の2L版は33/2、そのあとの世代の3L版は33/3と呼ばれ、とくに33/2では活躍したレースに応じて「フレロン」や「デイトナ」の愛称でも呼ばれる。

いっぽうティーポ33/2ストラダーレは、当時のFIAグループ5「スポーツカー」のレギュレーションが求める最少台数25台以上を生産・市販し、耐久レース下位クラスでの活躍を期していたともいわれている。くわえてアルファ ロメオの首脳陣には、フィアット&フェラーリのアライアンスによって生まれた「ディーノ」のライバルにしたいという、ささやかな野心も見え隠れしていたようである。

鬼才スカリオーネのアイデアが満載された「神の造形」

そのスパルタンかつ独創的なメカニズムと同様、33/2ストラダーレのボディスタイリングはオリジナリティと新味、そしてスピード感にあふれ、この種のスポーツカーを愛好する裕福なカスタマー層を魅了してしまうに相応しいものとされた。

ボディデザインを担当したのは、当時から「鬼才」のふたつ名で呼ばれていたフランコ・スカリオーネ。航空機由来の空力テクノロジーを体得していた彼は、1950年代前半からベルトーネとともに「ジュリエッタ スプリント」や「ジュリエッタSS」などの市販車にくわえて、「B.A.T.5/7/9」と名づけられた一連の空力実験車もアルファ ロメオのためにデザイン。大きな成功を収めていたのだが、1960年代後半には才能のきらめきにも陰りが見えてきたと評されていた。

ところが、エンジニアリングの段階から参加したティーポ33ストラダーレのプロジェクトでは突然のごとく才能を呼び覚まし、波乱にとんだ彼のキャリアではおそらく最後となる、素晴らしい成果を挙げることになったのだ。

当初スカリオーネは、レース用33/2のシャシーをそのまま転用して、自身のデザインしたボディを架装しようとしていたが、通常の使用に供するにはあまりに狭いスペースしか得られないことが判明する。そこで彼は、ホイールベースを2250mmから2350mmまで延長することにした。

ストラダーレ化に当たってもうひとつの問題は、レース用33/2のボディパネルがメインシャシーにサブフレームを介さず直接接着されたFRP製であることだった。このボディ構造は、33ストラダーレには不適当と考えられ、まずアルミボディのセンターセクションの形状に合わせて、コックピットを取り囲むような金属製の構造材を組む。そしてこのセンターセクションには、ホイールアーチとフェンダー一体型の前後カウルが結合された。

ストラダーレ化に至る課題は、まだ続く。ティーポ33は全高が低いうえに、燃料タンクを組み込んだマグネシウム合金製大径メインチューブを持つフレーム構造上の問題で、ドアの有効高がロードカーとしてはあり得ないほどに低くなってしまう恐れがあったのだ。

そこでスカリオーネは、ドアの上部をルーフ中央まで回り込ませるとともに、そのヒンジを斜めに取り付け、上方に向けて開かせるという天才的アイデアで解決を見出した。

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