アメリカ人エンスーたちを渡り歩いたヒストリーを追う
今回のRMサザビーズ「ARIZONA 2025」オークションに出品されたのは、1968年モデルとして記録に残る、わずか20台のL88コンバーチブルのうちの1台。1968年2月12日に組み立てられ、当初は「ブリティッシュ・グリーン(983)」のボディに「サドル・タン(420)」のビニールレザーで仕上げられていたという。
コネチカット州メリデンの「ハート・シボレー(Harte Chevrolet)」社を介して、ニューヨーク州ヨンカーズのジェームズ・ベイカーが新車として購入。その18カ月後、ベイカーは再びハート社を仲介として、エドワード・ウェザーズにこのL88を売却し、ウェザーズはもとのディーラーからわずか約1.6kmしか離れていない、コネチカットの自宅住所でこのクルマを登録したとされる。
ウェザーズは1972年5月までこのL88コンバーチブルを所有したのち、近所の友人であるデーヴィッド・マークスに売却した。ところがマークスが短期間所有している間に、レーシングユニットゆえに脆さもあったオリジナルのL88エンジンは、寿命を迎えてしまう。
1973年3月、マークスはこの 「L88ではなくなった」コルベットを同僚のレナード・ファッツィーノに売却した。14年後の1987年8月に、ウィリアム・ジャレッリに売却する以前のある時点で、ファッツィーノはL88をマルーンに塗り替え、オリジナルの内装を黒に染め直した。
1990年にフルレストアを行った
その後、1988年6月にジャレッリが「トランジスタ式イグニッション、J56ブレーキ、M22トランスミッションを搭載した1968年式コルベット・コンバーチブル」として中古車情報誌に出品したことで、コネチカット州を拠点とする著名なコルベットの専門家であるサル・カーボーン、スティーブ・ケベッカ、レイ・ジーサの目に留まることになった。
非常に希少なメーカー純正「L88コンフィギュレーション」の1台であることが明白な中古車を見つけた3人組は、フロリダ州スチュアートのコレクター、グレン・カリルの「エキゾチックカーズ・インターナショナル」に売却を仲介する。そしてカリルが所有していた1990年、このL88は完全なレストアを施されるとともに、「ル・マン・ブルー」のボディカラーに「ブライト・ブルー」のビニール張りインテリアにカラーチェンジされることになる。
その後、1996年にフロリダのオーナーに引き継がれたあと、この個体はL88の第一人者であるデイブ・ウォルターズによって徹底的にチェックされた。このため、ウォルターズは7000ドルを超える修正作業とコンクール・デレガンスへの参加を期した整備を施し、その年の「ブルーミントン・ゴールド・ショー」でのデビューに間に合わせた。










































































































