ルノー・ディーラーの息子が描いたWRC制覇
アルピーヌ大躍進の初期型A110の価値!?
WRC初代王者「アルピーヌA110」。その希少な1964年式が、米国のオークションにて14万5600ドル(邦貨換算約2184万円)で落札されました。なぜ半世紀前のクルマにこれほどの高値がつくのでしょうか。カナダ横断から英国での競技参戦まで、世界を渡り歩いたシャシー「3091」の数奇な運命と極上のレストア史。車両のあらましとオークション結果をお伝えします。
ユニバーサルジョイントで急成長のルノー!
その大衆車をスポーツカー化した天才誕生!!
アルピーヌのベース車両とも言えるルノーが、自動車メーカーとして産声を上げたのは、まさに世紀末の1899年2月のことだった。機械好きで発明家を志すルイ・ルノーの作り上げた3輪車をベースに、数々の改造を加えた4輪車が大反響を呼び、それを作り出す工場を作ったのが、ルノーが生まれたことの起こりとなっている。
このヴォワチュレット(フランス語で小型車を意味する)に隠されていた成功のストーリーとは、ユニバーサルジョイントを持つシャフトドライブ・システムを備えていたことだ。当時の自動車といえば、その駆動力はチェーンもしくはベルト・ドライブによって得ていたが、パワーロスの少ないシャフトドライブは画期的であり、それゆえ大反響を呼んだのである。
アルピーヌの生みの親、ジャン・レデレは、その後に成功を収めるロータスのコリン・チャップマンやアバルトのカルロ・アバルトなどとちょうど同じように、既存のメーカーのメカニズムを用いて、軽快な、あるいは高性能なスポーツカーを作り出すというビジョンを持った男だった。
もっとも、はじめからそうした野心を持っていたわけではない。彼はフランスの地方都市ディエップに生まれたが、父親がそこでルノーのディーラーを経営していたのがそもそもの始まりだった。そして彼もその経営に携わっていたが、クルマ好き、モータースポーツ好きが昂じて、当時フランス大衆の足として人気を博していたルノー4CVをベースに、彼自身のスペシャルマシンを製作。これがアルピーヌの始まりとなる。
ミケロッティとの出会いとRR駆動への固執
スイングアクスルを捨てて得たWRC制覇!
最初の市販アルピーヌは、「A106」の名で登場した。その前年のミッレミリアで750ccクラスのウイナーとなったモデルこそ、実質的なプロトタイプと呼べるモデルだった(外観は完全に4CVだった)。そして独自のボディをまとったモデルとして誕生したのがA106である。スタイリングを担当したのは、その後もアルピーヌと深い関係を持つことになるジョヴァンニ・ミケロッティであった。
パワーユニットは747ccのOHV4気筒。しかし車重がわずか500kg足らずだったこともあり、最高速は150km/hをオーバーする高性能を絞り出していた。この最初のモデルから、アルピーヌは現在に至るまで常にリアエンジン(RR)を採用し続けるわけだが、やがてそれは、インターナショナル・ラリーで素晴らしい活躍をする「A110」を生み出すことになる。
A110の登場は1963年のことで、本家とも言えるルノーが、それまでのドーフィンに代わりニューモデルのR8を登場させたことにより、アルピーヌもベースをこのR8に変更して誕生したモデルである。もっとも、旧型とも言えるA108はその後も1965年まで生産が続けられていたから、A110の登場は言わば追加モデルとも言えるものだった。
A108からのもっとも大きな変更点は、リアサスペンションがそれまでのスイングアクスルから、独自のセミトレーリングアームへとされたことだ。これによりラリー車としての戦闘力は飛躍的に向上し、大活躍の素地を作ったのである。
小柄なリアエンジンのA110は、当時ヨーロッパ屈指のラリーカーとなった。そのハンドリングとパフォーマンスで高く評価されたA110は、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、世界ラリー選手権の前身である国際マニュファクチャラーズ選手権で数々の勝利を収め、確固たる名声を築いている。そしてその名声を決定的にしたのが、世界ラリー選手権(WRC)と名を変えた1973年のモンテカルロ・ラリーだ。1-2-3フィニッシュを飾ったのを皮切りに、ほぼ無敵の強さでその年のマニュファクチャラーズ選手権を制覇したのである。




















































































































































































