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「セリカ」に「シルビア」など復活してほしい昭和の名車を7台紹介します【トヨタ&日産編】

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: トヨタ自動車/日産自動車/AMW編集部

名前を残して欲しかった名車たち

「(鎗は錆びても名は錆びぬ)虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」というが、名車もまた新車ラインナップから姿を消しても名は残る。とはいえ、長い時間をかけてブランドとキャラクターを確立した車名が途絶えてしまうのはなんとも寂しい。そこで、名前を残してほしかった名車たちをいくつか振り返ってみることにしよう。なお、今回は日産とトヨタ車に絞ってみた。

日産シルビア

2002年11月、7代目(S15)で途絶えてしまった「シルビア」。初代から7代目までずっとFRのスポーティモデルを貫き、ギリシャ神話に登場する清楚な乙女の名前からネーミングされたとおり、スタイルの美しさも伝統的だった。

3代目のS110と4代目のS12はシルエットフォーミュラ(星野一義がドライブ)で、日産ターボ軍団の一翼として人気を集め、ラリーでも輸出仕様の240RSや200SXが活躍。S13はデートカーとしても大ヒットしたほか、S13、S14、S15はチューニングカー、とくにドリフトのベース車として支持された。2Lクラスのターボで、比較的コンパクトなFRスポーツとして復活してくれたら、うれしいのだが……。

日産サニー

「サニー」は1966年に登場した日産の小型ベーシックカー。この頃に産まれたサラリーマンの子どもたち=今の50代の人々は、親が購入した最初のファミリーカーがサニーだったという人も多いはず。長年、トヨタ「カローラ」と販売台数記録を競い合っていたことでも知られている。

2代目B110サニーは、富士フレッシュマンレースやTSレースでも多数のエントリーを集め、多くのレーサーを育てた。マイナーツーリングレースの歴史はサニーなくしては語れないほどの存在だ。しかし、そんなサニーも2004年、9代目B15で実質的に終了し(10代目N17、11代目N8は海外のみ)、後継車は「ティーダラティオ」に。車名のサニーは、「太陽光」や「晴れた天候」という意味だった。

日産ブルーバード

初代が1959年にデビューした日本を代表するミドルセダン。メーテルリンクの童話『青い鳥』にちなんで命名された。モータースポーツでは、サファリラリーで優勝、入賞し、レースでもスーパーシルエットに参戦。販売面ではトヨタ「コロナ」がライバルだったが、2001年10代目U14で42年間の歴史に幕を下ろした。その後、2012年まで「ブルーバードシルフィ」があったがそれも消滅している。

日産セドリック/グロリア

「セドリック」は日産を代表する高級車。初代は1960年の登場で日産初のモノコックボディだった。3代目230型からは、もともとプリンス自動車工業で生産されていた「グロリア」と姉妹車になり、「セド・グロ」とワンセットで呼称されるように。5代目430は国産初のターボエンジン(L20ET)を搭載して注目された。

プリンスのグロリアは、1959年に(戦後一般発売された)日本車では初の3ナンバー車として登場。シャシーはALSI型スカイラインからのキャリーオーバーだったが、内外装はより高級化されていた。当時の皇太子明仁親王に納入。また10代目Y34では無段変速機「エクストロイドCVT」を採用する。

グロリアの名前は、皇太子明仁親王(現・上皇/第125代天皇)と正田美智子(現・上皇后)の成婚を記念して、ラテン語で「栄光」を意味する「グロリア」と命名。セドリックの名前は、フランシス・ホジソン・バーネットの小説『小公子』の主人公、セドリックに由来する。2004年Y34から後継車のフーガにバトンタッチして終了した。

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